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白菜のゆずびたし(「きのう何食べた?」2巻掲載のレシピ)

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

お正月に「きのう何食べた?」という漫画を読んで、とっても面白かったのと、そうだよなぁと思うところがたくさんあったので、新年のご挨拶のかわりではないですが、ちょこっと書きたいと思います。
きのう何食べた?(1) (モーニングKC)きのう何食べた?(1) (モーニングKC)
(2007/11/22)
よしなが ふみ

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ご存知の方も多いと思いますが、「きのう何食べた?」はよしながふみさんの作品で、2007年から講談社の「モーニング」で月に1回連載されています。

ゲイのカップルである弁護士のシロさんと美容師のケンジの二人ぐらしを綴ったこの物語は、タイトルからもわかるとおり食がテーマ。ほぼ毎回、シロさん(ごくたまにケンジ)が料理をする場面と、ふたりが一緒にいただきますをして、その日あったことを話しながら食事をする様子が描かれています。

そこで作られる料理のほとんどは、日々の晩ごはんの献立。
必ず定時の六時きっかりに帰るシロさんが、その日のおかずを完成させていくさまが、彼のモノローグによる解説を交えながら淡々と、しかし丁寧に描かれていきます。

それがまたうっとりするような手際のよさで、たとえばさっとゆでた野菜をざるにあげて、余熱でちょうどいい加減に火を通している間に汁物をつくりはじめて、汁物をコトコト煮ている間にあら熱のとれたゆで野菜を調味料や薬味で和えて副菜を完成させ、副菜を冷蔵庫で冷やしておく間に下ごしらえをしていた食材でメインや別の副菜にとりかかり、出来上がるころにはご飯が炊きあがってケンジが帰宅する、といったような感じです。完璧ともいえる流れの中、合間合間の洗い物のタイミングすら描かれていることにも驚きます。

シロさんのモノローグがそのままレシピになっているのでとにかくわかりやすいし、和食中心でヘルシー、どれも簡単でとってもおいしそうで、読んだ日からすぐ実践できそうな献立ばかりです。

そうした実践的な楽しみがあるのもこの作品のすてきなところのひとつですが、それとはまた別の視点で、ある回を読んでハッとさせられたシーンがありました。

ケンジが飲み会で珍しく不在の夜、簡単な一品料理で食事をすませたシロさんは、「一人のときはけっこうこんなもんだったなぁ、夕飯なんて」と気づきます。そしてこの台詞。

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(「きのう何食べた?」4巻142ページより)

これを読んで、ああ、「献立を立てる」っていうのはこういうことだよなぁ、とひとりでうんうんうなずいていました。

個人的なことになって恐縮ですが、私は今から二、三年ほど前に恋人と二人ぐらしをしていました。(そもそもこのブログをはじめたのも、それまで料理なんてろくにやってこなかった自分がひとさまと暮らすにあたって挫折しないように、という目的からでした。)

その時はほぼ毎日まっすぐ帰って晩ごはんを作っていたし、一品ではすまさずに何かしらのご献立を立てていたことを、上の場面を読んでふと思い出したのです。

シロさんのようにスーパーで安い食材が買えるとテンションが上がったし、あまった食材をうまく組み合わせて夕飯が作れたときは「やってやったぜ」と妙な達成感にほくそえんでいたりしていました。今日は何を作ろうかな、と考える生活がとても楽しかったのを覚えています。

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きのうの献立(鯖みそ、豚バラ切干炒め、ゆず大根、大根葉のおひたし、ニラときのこのお吸い物)

それが、彼とお別れをしてひとり暮らしをするようになってからは、人恋しさから飲みに行く機会も増え、自炊をする回数がグッと減っていきました。したとしても、ありあわせの具を適当に放り込んだ煮物や炒め物をごはんと食べておしまい、というような適当な食事ばかりでした。生活もかなり不規則になって、朝起きれなくなりました。

そんな荒れた生活の中でも、いきなり料理をしたい衝動にかられるときがありました。それは決まって、友人がうちに来たときでした。前日に一緒に深夜まで飲んでいたとしても、友人がいると不思議とパッと目が覚めて、料理をしたくなります。大した物でないのですがいちおう汁物やおかずを二、三品作って、それを食べてもらうのがなんだか嬉しかったのです。

そして友人とおしゃべりしながら食事をすることで、ひとりで食事をするのとは全然違う、満たされたような感覚がありました。
気持ちの面はもちろん、栄養面の充足感もあったのかもしれない、と思います。

自分以外に食べてくれる相手がいると、きちんと献立を立てたくなる。
自分だけだったらかけない手間ひまをかけたくなる。
そしてそれが結果的に自分のためにもなっている。

そういうことを、「きのう何食べた?」は再認識させてくれました。

一見あたりまえかもしれませんが、「もう少しきちんと生活をしたい」という願望が出てきていた今の自分にとって、その気付きはとても大切な気がしています。

料理研究家の栗原はるみさんも、同じことを「ごちそうさまが、ききたくて。」というレシピ本の中でやはりおっしゃっていました。「家族の健康を考えているのは私だと思っていましたが、家族のために料理をしていることが、私の健康を守ってくれているということを実感しました」と。

ごちそうさまが、ききたくて。―家族の好きないつものごはん140選ごちそうさまが、ききたくて。―家族の好きないつものごはん140選
(1992/11)
栗原 はるみ

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大きく違うのは、栗原さんが「家族」と断言しているのに対し、「きのう何食べた?」のシロさんとケンジは家族ではないし、今後(正式な意味で)家庭をもつという形になることはないということ。

シロさんは作中で、この先ケンジと添い遂げるかもわからない、別れるかもしれないし、というようなことを断言しています。そういった関係性の中で日々の食事がつづられていくというという点が、この作品のとても面白い所だと思います。

最後に、
料理をはじめた頃、スーパー不器用でものすごく手際が悪かった私は、当時一緒に住んでいた彼をおなかがぺこぺこのままずいぶん待たせてしまうことがよくありました。できたらできたで味がイマイチだったりして、満足させられないことも何度もあったのではないかなあと思います。

それでも彼は文句も言わず、おいしいときは思いっきりおいしい!と口に出し、味があまりにひどいときは笑い飛ばしてくれるような明るさをもった人でした。「このチンゲンサイいくらだったと思う?」とか、「これはいつもと違う作り方にしてみたよ」とか、聞かれてもいないのにやたら話しがる私にどうでもよさそうな態度をとったことは一度もなく、ちゃんと聞いて、そのつど答えてくれました。

そうやってまっすぐコミュニケーションをとってくれていたから、楽しくごはんを作る生活が続けられたんだと今になって思います。
ずっと料理を好きでいられることとも、少なからずつながってるんだろうなぁ。

そういう意味で、サリーには感謝の気持ちしかありません。ありがとう!



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プロフィール

ユキコフスキー

Author:ユキコフスキー
'86年生まれの飲んだくれ。
食べ物に目がない割にスーパー不器用。実家を出たのをきっかけに「脱・食べる専門」をめざして料理をはじめ、数々の失敗を繰り返しています。

手ぬきで見ばえの良くないご飯ばかりですが、何かアドバイスをいただければ嬉しいです。
@222ka_yukikov

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